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1月

1月25日・・・初天神

初天神とは・・・

「天神さん」と言えば菅原道真。学問の神として、雷神として、また文学・書道・詩歌の守護神として、人々から厚い尊崇を受けています。道真はもともと学者で詩人で政治家。幼い頃から学才に優れ、藤原氏以外は出世できないと言われていた当時の風潮の中で、右大臣にまで昇進するという異例の出世をしました。ところが、それを妬んだ藤原時平一派の策略により、無実の罪を着せられ、九州は大宰府に流されてしまいました。その2年後、道真は都に帰れぬまま、無念のうちに大宰府でその生涯を閉じました。

「天神」とは読んで字の如く「天の神さま」のこと。天候や雷雨を司ります。その中でも、雷は人や家畜の命を奪うおそろしいものであると同時に、農耕で日々の糧を得ている人々にとっては、恵みの雨をもたらす、いわば農業の守護神でもあり、「雷神」として崇められてきました。道真の死後まもなく、道真の左遷を企てた藤原時平をはじめ、それに加担した人々が病気や事故で次々に急死します。さらに、御所に雷が落ちたり疫病が流行したりと、不吉な事件や天災が相次いで起こりました。これを人々は道真の怨霊のたたりであると考えます。

こんな話もあります。都のあちらこちらに雷が落ち、人々がおびえている中、たった1ヶ所、道真の家があった桑原という所だけが被害に遭わなかったと。人々は雷が鳴りはじめると「くわばらくわばら」と呪文を唱えながら雷から逃げようとしたそうです。

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くわばらくわばら

 

このようなことから、朝廷は道真を「天満大自在天(てんまんだいじざいてん)」と称して京都の北野天神社のかたわらに祀り、怨霊を鎮めようとしました。北野天神社はもともと、流刑にあって死んでいった貴族の怨霊と雷神を祀っていたところ。道真の死後に起こった数々の不吉な出来事が関係し、道真の怨霊を祀った天満宮と、古来からの天神信仰が結びつき、やがて菅原道真=天神さんとなり、全国に広がっていきました。
北野天神社は現在の「北野天満宮」。また道真が没した地に建てられたのが「大宰府天満宮」。道真が大宰府に向かう途中で立ち寄り、しばらく滞在したという山口県防府市にある「防府天満宮」。この3社は「3大天神」と言われています。

菅原道真が生まれたのは6月25日。
大宰府への左遷の命令が下されたのは1月25日。
この世を去ったのは2月25日。
このことから、毎月25日は「天神さんの日」とされています。
その中でも、1月25日は1年で最初の「天神さんの日」ということで「初天神」といいます。